· 

とんちがきかなくなってしまった日本人。

過去に見てきたことや可能性を感じた場面がその時は実らなくても、その次の時のタイミングやポイントに合った瞬間に意味合いや実行が一致したり(よく聞くウィンウィンみたいな)更に磨きがかかりフィールドを広げ目的にグッと近づく。

25年前のことも曲がり角曲がったらいきなり一致したりもする。年代も縦横斜めマス目状にリンクし非常に面白い。だから人間的に面白い人は予測がつかないホント。おそらく結びつくポイントが多いから、どこでどうなるかも予測がつかない。ただ絶対いるのは目的で、場面場面で見失うことも見えなくなる状況にもなる。

目標がなきゃただただ良さそうな場面欲しさに、やりたいことややらなきゃいけないことがブレて、楽やいやすさを優先してします。それが一番少なくない。。

こういう場面での私自身脳内はなぜかこの話が蘇るんです。

とんちの彦一。殿様との将棋での勝負のシーン。

 ハノイの伝説や豊臣秀吉と曽呂利新左衛門の話も、似たタイプの話で長年生き残っている教育の一部なのかとも思うぐらい。凄まじいです。

自分の器がいっぱいになって、こぼれ落ちるのを受ける器もあればねって話。