どんなことでもどんな形でも、世に自分自身の作品をドロップ(リリース)したいと思っている人。自分自身に後悔しないために全力で形にしてもらいたいです!お願いです。
なぜなら私たちも含め、若者やまだソレを知らない人たちが、みんなの創ったそのもの一つ一つに触れて感じた感性や経験を搭載して大人になっていくんです。センスが磨かれる。選ぶ選ばないは相手の話。選択はあればあるほうが選ぶ側にとってはいい。最高。多いとブレる?大丈夫、気持ち(根拠)を整えておけば。子供に対してもそう思っています。人の道は一つ二つではもったいない。無限だと思うから閉ざさないようにはしている。みんな同じ。子供にも社員にも仲間にも親にもいえる。表現できるという特徴こそがオリジナルだし貴重な存在です。私も意味のあることや単純にかっこいいこと(まあ根拠がなきゃカッコよくはないが)をキャップに落とし込めれると思った瞬間にいつもご依頼しています。
こんな時代にって思います?少なくとも私の周りは活気に溢れています。いつもみんな私と話すとやる気になると言ってくれます。それを聞いて私はやる気になっていますよ!なぜか笑。
※昔、ニューヨークでホームレスの施設へ、知り合いのブランドのニットキャップのエラー商品を捨てるのももったいないなって話になって、工場から施設へ行きニットキャップを配布しに行った経験があります。嫌な予感は的中。。
暗くてゴミだらけ、小便臭い場所で睨まれながら立ち尽くす私。もしかしたらヤラれるかも。友人はお構いなしに大声でdo you want knit hats!?do you want knit hats!?って叫ぶと、近くに来ては罵声を浴びせてくる数人。。うるせぇ!帰れ、○ねとかね。5.6人になったところでほぼゾンビ対決みたいな状況の中、一人のおじいさんがゆっくりゆっくりこっちに向かって下を向いたまま歩いてきてニットキャップをもらいフードをまくり上げ一言、ジーザスと呟きもらったニットキャップを被り、ゆっくりオレンジの街頭の向こうに帰っていった。そのおじさんに一言友人が、いいクリスマスになるように頭は温めてください!と言った後に私を見てウインクする友人。僕だけのニューヨーク。感情が押さえきれず泣きながら笑ったことがありました。うるさかった人たちも続々にもらう手を差し伸べてくれていろんな方にニットキャップが行き渡ったのが深夜12時ぐらいだった。
その時見れない何かを見たか、言葉では表せれない何かを経験できた気がします。私のキャップ造りの想いの中の一つです。